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とうとう夏休みも終わり・・・
ということで、たまにはファミリーネタでも、
アッサリとした感じで書かせていただくとしましょうか。

東京のお台場、
東京ビッグサイトと有明テニスの森近く、
癌研有明病院の目の前に東京臨海広域防災公園という
東京都の防災拠点施設がありまして、
そこのバカ広い公園内に「そなエリア東京」という
防災体験学習施設があるんですな。

意外と知られていないようなので今回、
ココで取り上げさせていただこうかと・・・

利用時間は午前9:30~17:00
(入場は16:00まで)
月曜日休館(ただし月曜日が祝日の場合は翌日)。

そして、開館時間中15分おきに、
「地震発生後72時間の生存力をつける体験学習ツアー」
が「出発」するシステムになっていて、
館内のゲート前に係の人が集合をかけますので、
時間になったら(表示されている)そこに集まって、
係の人から説明を受けます。

平日は学校関係の「現場学習」などで利用されているようなので、
混んでいる場合もあるようですが、
休日は意外とガラガラのようで、
かくいう私、潮風太子一家がツアーに参加したときも、
10:00の回で参加者が12名でした。


係の人から一通りのレクチャーを受けてから、
任天堂DSを使い(無料貸出)
ツアーを進み大震災を疑似体験しながら、
スポットごとに出題されるクイズを解き、
防災知識と防災に対する再認識を習得できるという志向。

問題は子供用・大人用・英語の3つから選択できるので、
家族それぞれが楽しみながら、
体験学習できる仕組み。

問題に正解すると、こうやって〇正解の表示。

間違えると、こんなふうに不正解の表示となります。

例えば、どういう問題か?
については今回あえて書きませんのであしからず。

ストーリーの設定は夕方6時、
エレベーターに乗車中「大震災」に遭遇!!

その後、
救助活動や支援が
確実に受けられるようになるまでの
72時間まで、
いかにして生き延びるか?
ということろをテーマにした内容です。

では、いざエレベーターへ・・・

するとエレベーター乗車中、
突然、地震が発生します。
エレベーターは緊急停止。
しばらくすると放送が入り、避難の指示。
みんなでエレベーターを降りて避難するんですが、
ビル内は非常灯だけで、あとは真っ暗という状況。

これが意外と「狭いクランクの廊下」、
「真っ暗な室内」「混乱する外の様子の音」、
という演出によって「訓練モノ」と、
頭ではわかっているのだけれども、
おばけ屋敷ばりに結構怖い!

やがて暗い廊下を抜けると、
震災によって壊滅状態の街に出ることに・・・

これまた、なかなかリアルな作りで、
思わず「お~っ!」と唸る。

そこで、早速「問題」が出題され、
問題を解いてから次のポイントへ移動。

すると街頭テレビが地震の状況を伝えていて、
これまた今「左遷騒動」で話題のフジテレビ
川端健嗣アナウンサー(BSフジ広報局専任局長)
が臨時ニュースを読んでいる光景に唖然。
違った意味で戦慄を覚える。

まさしく絶体絶命の状況に相応しい演出だ!

とまぁ、こんな感じで問題を解いていき、
あなたの72時間以内の生存確率何%!
という結果が出て、
改めて震災への備えに対して再認識ができると。

これ以上、あんまり書いてしまうと、
面白さが半減以下になってしまうので、
ここまででやめておきますが、
とても面白い「テーマパーク」でした。

この他にもカードゲームや実験ができる、
防災学習ゾーンだとか、ミニシアターがあったりするので、
都合1時間~1時間30分くらいは滞在する感じかと・・・

それと、ここは広域防災拠点施設というだけあって、

本物のオペレーションルームがあるところでもあります。
普段はコンセントなどは外され未使用の施設も、
震災緊急時には、ここが対策本部になるとのこと。
でも、ココ「踊る大捜査線」で観たような気が・・・

天気がよければ、
終わってから外に草地の広い公園があるので、
結構、長い時間遊べます。

ボールの貸出しなんかもやってました。

日によっては「実験体験イベント」もあるそうで、
確実に半日は時間が潰せる、
家族向けレジャースポットだと思います。

あ、そうそう!
この「そなエリア東京」。
入場は「無料」!!

最寄駅は「りんかい線」だと国際展示場駅から徒歩4分程度、
「ゆりかもめ」だと有明駅からスグ。
車だと、この公園内には駐車場がナイものの、
有明駅近くと癌研有明病院にあるタイムズの有料駐車場が、
あって特に、癌研有明病院の駐車場だとスグ真ん前の位置。

それと有明病院の地下駐車場に駐車の際、
休日は有明病院お休みの為、正面玄関は閉鎖されます。

警備員さんがいる裏の出入り口からの入場となりますが、
まぁ常識的な立ち振る舞いをしていれば、
特に止められることもありません(笑)

ココの駐車場の方が広くて駐車しやすいので、
お車で行かれる方はコチラの方がよろしいかと・・・

せっかくの「無料の公共施設」。
有効利用しない手はナイでしょう。
とにかく日本で最も安全なスポット
(避難場所)な「ハズ」ですから、
家族連れでも安心です(^o^)

では、このネタが何か
皆様のお役に少しでも立てれば幸いです。
ご参考まで・・・

ということで、また来週。
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普段は「弁当」か「外食」派の潮風太子が、
久しぶりに会社の社員食堂へ行くと、
カレーフェアなる企画もののカレーがメニューに・・・
当然のことながら「オーダー」を。

ところが、このカレー驚いたことに、
具の野菜が丁寧に素揚げされた、
超激辛スープ系の「本格カリー」だった。
間違いなく神田の神保町で出してるような
「本格カリー」と同レベル。

つい3、40年前まで
「黄土色のジャパニーズカレー」が、
一般家庭や学食、
社員食堂のカレーの定番だったが、
とうとう本格カリーが
「社食」のメニューに登場する時代へと突入したのかと・・・

カレーは世につれ、
世はカレーにつれとな。

平和で豊かな時代が続いてきたからこそ、
日本のカレーは進化し発展し続けてきた・・・


ということで、
今週は「野球」をスパイスにしたカレー話など。

お盆の8月17日。
幕張メッセで開催されている
「からだのひみつ大冒険2013」とかいう、
イベントに朝から家族みんなで出かけた。
が、まぁたいして面白くもなかったので、
コレといって記事にするまでもなく・・・
なのでネタとしてはボツ!

それでも息子たちは楽しかったと言ってくれた。
とりあえずはホッとするも、
やはり、どうもうわの空での見物・・・

それもそのハズで、

もちろん本来の目的はココ!
幕張メッセのスグ近くにあるQVCマリンフィールド。
「夜はマリンで花火を観よう!!」
なんて上手いこと言って、
まんまと家族を連れ出し、
我が家のレジャー費でのマリーンズ応援。
シメシメ・・・・

そして久しぶりの球場メシ。
さ~て何食うかなっと!

ウチの愚息たちは「もちもちポテト」やら、
餃子に焼きそばと「油もの」づくし・・・
ま、たまにはいっか。

でも、やはり飯モノも一応、押えておかなくては。
子供は気まぐれだ。

そこで球場の外3塁側裏あたりにある、
「居酒屋オリオンズ」なる店の軒先で売られている
「東京スタジアムカレー」というカレーが
以前から気になっていたので、いい機会。
購入を決意、愚妻に頼んで買ってもらう。

すると昔の土方が使っていたような
深底のアルミ製弁当箱くらいの大きさの容器に、
たっぷり入って500円とな!

子供が食べきれないとヤバイので、
とりあえず1つ購入。

それにしても玉ねぎがドッサリと入っていてビックリ!
いや「玉ねぎカレー」といっても過言じゃナイ量。

カレーをよそってもらっている時、
思わず「ずいぶん玉ねぎ多いっすねぇ~」と言ってしまったほど。

すると、お姉さん(ということにしておこう)曰く、
「ウチは肉と玉ねぎだけの昔のレシピどおり忠実に作ってるんですよ」
と言われ、思わずエッ?と聞き返す。

「ということは本当に昔、千住で出されていたんですか?」
と、つい「スイッチ」が入ってしまうボク。
てっきりネタで
「東京スタジアム」を名乗っていたのかと思っていたので、
これには正直、驚いた。

時間が少々あったのでいくつかお話を伺うと、
なるほど、どうやらこの看板に偽りナシらしい。
東京スタジアムが閉場したのち、
このカレーの味のレシピを、
小岩にある居酒屋で守っていたとのコト。


先ほど「千住」と書いたが、
ココでいう「千住」こと東京スタジアムとは、
その昔、東京の南千住にあった野球場のことで、
いわゆるサッカーの味の素スタジアムとは違うので注。

現・荒川スポーツセンターの場所に、
昭和37年、千葉ロッテマリーンズの前身である、
大毎オリオンズが本拠地とする球場が完成した。

下町にある光のスタジアムとして
近所の人たちの夏の夜の娯楽を担っていた球場、
それが、この「南千住」の東京スタジアムだった。

ちなみに、
この球場にはボーリング場なども併設されていたり、
冬になると野球場がスケートリンクになったという。

残念ながら、
この球場は1972年(昭和47年)に閉場され、
1977年(昭和52年)には取り壊されて、
現在に至るというのが主な歴史。

1969年生まれの潮風太子は残念ながら、
この球場へ行くことができませんでした。
が、実は潮風太子の「父親」はココにはよく行ったらしく、
事あるごとに何かと千住の球場の話をしたがる。
「工場の煙突」の話やら・・・

もっとも親父は大毎オリオンズのファンではなく、
大毎の仇敵「東映フライヤーズ」
(現・北海道日本ハムファイターズの前身)
のファンだったが。

田舎から出てきた潮風太子(父)が、
最初に働いていたのが、
この球場近くの町工場で、

当時、この千住周辺(向島あたりまで)は、
工場の街だった。

それこそ「3丁目の夕日」そのものだったのだ。

山谷と呼ばれるドヤ街は、このスグ近所に位置する。

そこで改めて、年号に注目していただきたい。

昭和37年に球場ができた。

いわゆる三丁目の夕日の頃の昭和40年前後、
この球場には大勢の下町で暮らす人々、
子供たちが集い「プロ野球」を楽しんでいたと・・・
かの「両津勘吉」も通った(笑)という東京スタジアム。

戦争が終わったのが昭和20年の8月15日で、
このとき、この一帯はガレキだらけの廃墟の街だった。

この時の様子は以前書いた
「東京ジェノサイド」
(東京大空襲のことを当ブログでは
東京ジェノサイドと呼んでいる)で、
さんざん書いたので改めて書かないが、
その時から17年~20年程度が経過した状況。

では、次にご自身に当てはめて考えてみていただきたい。

今から20年前の記憶。
皆さんは、どのくらい正確に覚えておられますか?と。

このブログをご覧の方は、
私、潮風太子を含め、
結構、年齢層が高い方ばかりなので、
それこそ「昨日のことのように」
覚えておられるハズ。

受験の頃だとか失恋したときのコトだとか、
初めて給料を手にした時のコトとか、
初めての出張、結婚、出産、転勤、左遷、離婚(?)と。

少し話が逸れた閑話休題。

あれだけの戦争、
いや実際に戦地から命からがら帰還できた人。
大空襲をなんとか生き延びた人々から、
まだ戦争当時の生々しい話が「当事者」から聞けた時代、
いや無理やり何度も聞かされた時代がこの時代だ。

田舎者のウチの親父は子供の頃、
カレーなど食べたことが無かったという。
いや当時、この球場へ足を運んでいた人たちの多くが、
お互いに同じような経験を持った人たちばかりだった。

つい20年ほど前までは食べるものもロクに無かった、
カストリ時代を生き抜いてきた人たち。

そういう人たちからすれば、
球場で食べる本格的な「こげ茶色のカレー」といったら
当時は「贅沢の極み」だったハズ。

肉と玉ねぎがたっぷり入っただけの
シンプルなカレーでも当時の人々は、
「平和の味」と噛み締め、
改めて「平和」を実感したであろうことは、
想像だにかたくない。

そして相手チームや不甲斐ない選手をヤジり、
勝負に一喜一憂。
それが、みんなの明日への活力に変わっていった。
翌日になれば、
また朝から「親方」に怒鳴られる毎日。
みんながそうだった。
そうやって仕事を覚えて一流の職人が育っていった。

こうしたパワーがのちに、
この国を世界第一位の工業国へと押し上げ、
世界のMIDE IN JAPANにまで
昇華させる原動力となった。
これは「千住」だけの話じゃナイ。
「後楽園」しかり「川崎球場」しかり、
大阪なら「大阪球場」であったり、
名古屋なら「名古屋球場」であり、
広島なら「広島市民球場」、
福岡なら「平和台球場」であったりした。

野球は平和の象徴!!
平和な時代でないと「野球」を観戦するなんてことは出来ない。
これが潮風太子の「持論」。

玉ねぎだらけのカレーから反戦論とは、
少しばかり飛躍し過ぎだろうか?

・・・などとボンヤリ考えていたら、
愚息2人は玉ねぎだけ残して、
肉とカレーを変わりばんこで、
食べてやがる…!!

「おいっお前ら、ちゃんと玉ねぎも食べろコラっ!」
結局、半分も食べられてしまうハメに・・・

でも、まぁいい。

この玉ねぎばかりのカレーについては、
もう少し愚息2人が大きくなったら、
改めて「解説」する必要がありそうだ・・・

これが高度成長期の頃の日本を象徴するカレーだぞ!と。

これからも、東京スタジアムカレーが、
当時の人たちの息遣いや、
当時のバックボーンを感じることができる、
トラディショナルなメニューとして
存在し続けてもらいたいものです。

でも、次買うときは
「玉ねぎ少なめで・・・」
って言っちゃいそうな自分もいたりして・・・


あ、そうそう試合の方ですか?

これが翌18日朝の日刊スポーツの一面記事。
現在、5位の北海道日本ハムファイターズの記事の方が、
2位のマリーンズよりケタ違いにデカイのが現状でしてね・・・

初回の1回のオモテで試合が決まったので、
ヤジも飛んでませんでした。

夕刻とはいえ30度を超える気温のグランドで30分近く、
守備につかされたマリーンズの野手たち。
さすがに「しっかりやれ!」とか「頑張れ!」なんて、
言えませんよ・・・

5回の裏の花火を観たあと、
「明日頑張れっ!」ってヤジったのが精一杯・・・でした。

都合、初回で5失点。。。
同じ大谷でも、こうも違うのかと・・・・

この試合とて、危うくノーヒットノーランに、
なりそうだった試合。
なんとか1点取って一矢報いたものの、
カレー同様に試合もチョイとばかり、
「ピリ辛」でやんしたよトホホ。

では、また来週。
2013.08.16 頭の痛い問題
ちょっと今日は頭痛でして。
間違いなく過密スケジュールと寝不足からくる、
夏バテなのか夏風邪なのか・・・
バファリン飲んで薬が効き始める前に、
パパッと書いてしまおうか。ということで、
パパっと書かせていただきますm(_ _)m

最近、右傾化の危機って言われるようになってきたんですが、

コレ右傾化でもなんでもナイでしょう。
少なくとも愛国者とは言い難い。
こういう事象について、
無理繰り右派と左派を称する人たちは、
ネットを中心に議論してるんですけど、
歴史観とかってのもネットで得た知識を軸に
議論とやらをするもんですから、
ちょっとばかし目線が高いんですよね。

で結局のところ論争の末に、
「オレは韓国人がとにかく嫌いなんだよ!」
ってな調子で「右」の人がキレちゃう。
となると、もうイデオロギーでもなんでもナイと。
ピーマンが嫌いだとかセロリが嫌いだとかに近い感覚。

もう、こうなってしまうと議論の余地がナイと思います。
いいコトだとか、悪いコトだとかっていう価値観そのものが
崩壊してしまったワケですから。


こういう光景も今や見慣れた光景。
皮肉なことに皆が忌み嫌う「北朝鮮」では、
まず見られません。

こういうのをネットに出すっていう心理も
よくわからないんですが、


コレはもう企業をターゲットにした「テロ」です。


これでも、やった本人たちはこういうコトが、
「悪い事」だっていう自覚がないと・・・
世間様から批判されてようやく、
「ちょっとやりすぎちゃったかな?」程度の認識。

これが今の日本の真の姿。

こういうところから「ゆとり教育」批判が起きて、
そこから「戦前」は・・・
そして「教育勅語」と「修身」の復活を!
という流れが起きる。
極右論に傾倒する人たちが増えていくと。
これが最近の俗に言う「右傾化」の流れ。

竹島だとか尖閣諸島の問題は、
こうした極右論への呼び水というか
キッカケという感じ。

こういうことが積み重なっていって、
正義の定義が変異したとき、
徐々に戦争へと向かっていく。

最近、興味深い事件が広島で起きた。

16歳の同級生(女)を山へ連れて行って、
大勢でリンチして殺害し放置。

その後、主犯の女が「自首」して事件が発覚。
ところが、この主犯の女を含め、
リンチに加担した連中も被害者に対して、
悪いことをしたと今だに反省していないという。

しいていうなら後悔はしているようだ。
「LINEなんかやったばっかりに・・・」という。

そして、このリンチに加担した女の一人が、
警察の取り調べに対して、こう答えている。
「あの状況ではリンチに参加することを拒めなかった」と。

連合赤軍の再来かと思っていたら、
なんてことはない戦前の日本軍の亡霊の復活だった。
戦争に参加していった国民の心情と、
あの戦争は仕方なかったんだ・・・
という「例のセリフ」に被る。

でも人間なんて、所詮そんなもんでしょ。
戦争が終わって68年経っても、
結局は本質的には変わっちゃいない。

これが戦後教育の帰結とみるべきか、
終焉とみるべきか。

さて今後は言ってもわからない相手と、
どう「付き合っていくか?」。

そして、どう現実と向き合っていくか?

右派の人も左派の人も、
自分たちのイデオロギーより先に、
そっちの議論を先にやったほうがイイ。

本当に、この国の未来のことを考えるのならば。

こんな国になることを「英霊」たちは望んでいたかと。

では、クスリが効いてきたようなので、
ソロソロ休ませていただきます。。。

また来週。
来週ちょっと重いネタになりそうなので、
今週はいかにも庶民的なブログってな感じの、
軽いタッチのアットホームネタなんぞ・・・


さて先週はチョイと夏休みをいただきまして、
群馬県は谷川岳方面へ行ってまいりました。

が!日頃の行いの悪さからか?
結局、雨に祟られ通しで参りました・・・
おかげで、これといったネタになるような収穫もなく。
湯沢高原方面にも足を伸ばしたしたりしたものの、
これまた雨の影響で惨憺たる結果に。

一応、せっかく来たんだからってコトで、
天神平(谷川岳)のロープウェイと、
その先へ向かうゴンドラに乗り、
天神峠の頂上まで登って展望台から大パノラマを、
ちょっとだけ満喫。

しかし、この谷川岳という山。
標高こそ2000mにも満たない山にも関わらず、
遭難死者数が実はギネスブックに認定されるほど、
群を抜いて多く、その数8000m級(チョモランマなど)
の山14座の合計死者数をはるかに凌ぐ数とのこと。
また山の詳しい人から聞くところによると、
その遭難者のほとんどは一ノ倉沢の難易度が高い崖での
クライミングによる事故で命を落とす人たちが、
ほとんどだそうで・・・

またこれにまつわる心霊話も数知れずとな。

そんな家族旅行から帰って来てから早々、
今度は愚息(長男)の夏休みの宿題問題が勃発。

んなもん独りでやらせろよ!

ってなモンだと思うんですが、
学校から配布されたプリントには
「宿題はおうちの人にちゃんと見てもらいながら、
キチンとやりましょう!」ってな但し書きが・・・

要するに保護者に対して、
ちゃんと子供に目をかけよ!ってな警告文なワケで。

確かに最近では「夏休みの宿題やります!」ってな、
「商売」もインターネットの普及に伴って繁盛しているらしく、
そういうのを使われちゃ困るってなコトなんでしょうかね。

また親子の対話の貴重な時間でもあると・・・

ただね。
いちいちプリントやらドリルやらの
「丸付け採点作業」なんかにしても、
結構面倒くさい作業でして。

いつからこんなルールになったんだかと・・・

また宿題の数も結構な数ございまして。
キチンと計画を立ててやらないと、
最終日にパパっとできるようなレベルじゃナイんですな。

ちなみに当家ではプリント・ドリル関係は愚妻の担当、
工作・作文関係は私メの担当と分業制にしたワケですが、
これまたアホな息子なんで、まぁ苦労します・・・

「工作は何を作るんだぃ?」と聞けば、
「貯金箱ロボット!」とワケのわからん返答。
ならば「とりあえず設計図を書いてみろ」と指示を出すも、

これじゃ単なる「お絵描き」。
しかもレベルが幼児並みのデキの「設計図」。
とても小学2年生の書いたものとは思えない結果に、
親父はガックシ!

あんまりにも酷いデキだったので、
仕方なく「対話」をしながらイメージ図を書いてから、
設計を開始することに・・・

1時間ほど適度に「怒り」ながら、
どうにかこうにかイメージ図を完成させる。

どうやら愚息のイメージとしては、
コインを種類別に分別できるものを作りたいそうで・・・

まぁそこまでイメージが具体的になれば、
あとはそれを具現化させるだけなので、
小学2年生レベルのモノを考えればイイだけの話。

ということでコインの大きさを利用し、
落ちる角度を調整することで、
大きいコインと小さいコインを分別できる、
なんともチープな貯金箱の本体部を、
とりあえず完成させる。

当然のことながら、
ちゃんと分別できないと意味がナイので、
何度もテストをさせて「精度」を上げるように、
角度を微妙に調整・・・
これが意外と時間のかかる作業となったが、
うまいこと言って「次男」(3歳)にも、
「ココにお金を入れて~」なんて遊び半分で手伝わせたら、
案外と面白がってやってくれたので、
手間が省けた。

あとはこの先、
どのようにデコレーションするかは、
本人にやらせるということで、
ようやく「貯金箱」の目処は立った。

とはいうものの、
あと自由研究と魔の読書感想文という「大物」が残っている。

まだまだ親にとっても憂鬱な夏休みの宿題は続くらしい。
さ~て、どうすっかなぁ・・・

あ~面倒くせぇ!!

って、それじゃ子供と同じレベルじゃないのと・・・

それにしても「夏休み」とは名ばかりで、
「親」になると、ちっとも休めないじゃないか!