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今週は久しぶりに長いヤツ書きます。
なのでテキトーに端折って読んでくださいませm(_ _)m



「我が書斎」の本棚が最近、また満杯状態となってきた。
本来ならば不要になった本は「ブックオフ」に売って、
廃棄処理すればいいものの、
幸か不幸か、こうしたブログなんぞを書いている関係上、
「資料」として、どうしても手放せない状況。
いつまた「使う」ことになるかわからない。
ネットにない情報(削除されてしまうケース)や、
また潮風太子が読む本というのは、
よく絶版、廃刊になるモノが多く、
あとになって「しまった!」というケースが少なくない。

ということで本棚を探しに「ニトリ」、「カインズホーム」と回ってみるも、
どうもイマイチ・・・
帯に短し襷に長しといったカンジ。

まだ昼前ということもあったので、
ちょいと足を伸ばして船橋の「IKEA」へと車を飛ばす。

~今から36年前の夏。
潮風太子は我が長男と同じ小学3年生の頃。

当時は、このIKEA周辺のことを多くの人々は、
船橋ヘルスセンター周辺と呼んでいたもの。

そして、このあたりには前の年1977年に閉園となった
船橋ヘルスセンターの施設、
大劇場と約1万坪の大プール(通称ゴールデンビーチ)と、
競馬場とオートレース場が点々として残っていた。

大劇場はザ・ドリフターズの8時だよ全員集合の「舞台」として、
ちょくちょく使用されていた。
かくいう潮風太子も2度ほど「公開生放送」を観に行った思い出がある。
それともうひとつの大プールも当時の子供たちにとっては、
人気スポットのひとつで夏休み期間中は連日満員という状況だった。
その中には当然のことながら潮風太子もいた。

近く船橋の海水を濾過して取り入れた海水プールは今にして思えば、
とても斬新かつチープな発想だったなと思うが最盛期には、
この海水プールに1日10万人訪れたという記録が残っている。

昭和27年埋め立ての際、
ガス採掘時に鉱泉が湧き出たところから、
かの船橋ヘルセセンターの歴史が始まる。

地元漁師たちとの補償問題など紆余曲折あったものの、
昭和30年11月3日この温泉を利用した、
今で言うところのスパリゾート「船橋ヘルスセンター」が誕生。

この栄華繁栄ぶりについては改めてここで書くまでもないほどだが、
それこそ当時の「船橋ヘルスセンター」関係の写真を見ると、

こんなに人って密集しても死なないものなのか?
と思うほどの客入りであったくらいのことは書いておくか・・・
最盛期には年間400万人以上の来場者で賑わっていたという。

しかし昭和46年地盤沈下防止のため、
この周辺の温泉の採掘が禁止されたことや、
時代の変化と娯楽の多様化に伴い、
来場者数も激減したこともあって、
昭和52年「本体」の船橋ヘルスセンターは閉園する。

やがて大劇場も大プールも閉鎖され、
そこへ「ららぽーと」という大型商業施設が出来た。

今では船橋のららぽーと周辺といった方が、
理解しやすい土地となっている。

一時、屋内スキー場(SSAWS=ザウス)もできたりしたが、
ここも無くなって跡地に外資系の大型家具店IKEAができた。

そのすぐ隣りに船橋オートは隣接している。
いやIKEAよりこっちの方が先だから、
逆か…

36年前の夏、
家族とゴールデンビーチで、
海水浴をしているとプール沖合向う側から、
単気筒エンジンのバイク独特の爆音が、
まるで波打つように聞こえてくると、
「あ、レースが始まった」と子供たちは認識した。

周回を重ねていくたび、
その爆音に重ねるように博徒たちの歓声や絶叫が、
次第に熱を帯びて聞こえてくるようになる。

爆音の終わり際には、
博徒たちの罵声と歓喜の声が一際大きく聞こえるも、
それも束の間。
再び何事も無かったかのような、
静かな夏の健全なプールの風景に戻る。
ゴールデンビーチは子供たちの無邪気な歓声に包まれた…

これが潮風太子のゴールデンビーチでの36年前の記憶。

そして、
その爆音の主こそが船橋オートレース場だったのだが、

その船橋オート。

今年の8月中旬、
突如として船橋オートレース場を、
2016年3月をもって廃止とする。
というニュースが報道された。



発表当初スポーツ紙の小さい記事で、
知る人ぞ知るようなニュースだったものの、
翌日には

メジャー各局のテレビやラジオのニュースでも
取り上げられるようになったことで、
ちょっと話題になった。

これもまた船橋ヘルスセンター同様、
時代の流れというか趨勢というか、
また昭和がひとつ消えていくのか…
と感傷的に思いつつも、
以前5年ほど前、
チョコっと触りのネタで、
取り上げた船橋オートのネタ。

改めて本ネタとして取り上げてみようかと・・・
潮風太子的地べたの視点で書いてみることにしましょうかね。

ということで、
ここからはギャンブルネタになるので、
お好きな方だけ「続きを読む」にてで、
先をご覧いただくという風にしますか(笑)

では、これより先は
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今週は久しぶりにマリーンズネタを。

9月16日の日刊スポーツ紙野球欄、
隅っこの気がつくかつかないかのようなところに、
千葉ロッテマリーンズ2軍(別名・浦和マリーンズ)が、
イースタンリーグで優勝!
という記事がコッソリと掲載されていた。

胴上げ試合を「地元」浦和球場で決めたところがニクい。

しかし、こういってはなんだけれど肝心な1軍は、
2005年と2010年にそれぞれ「優勝」を決めているものの、
「地元」QVCマリンでの胴上げというのがナイ!
パ・リーグ優勝(クライマックスシリーズ)のときも含めて・・・
なので、そういう意味でいうとマリーンズファンにとっては、
価値ある「胴上げ試合」だったかなと。

しかし残念なことに、
こんな大事な日に「仕事」でどうしても行かれなかったことが、
ちょっとばかし悔やまれた。

今年の「浦和マリーンズ」は、
まさに絶好調のシーズンで、
まったく危なげない逃げ切り勝ちで、
2位とは7馬身もとい7ゲーム差!
「宿敵?」ジャイアンツとは、なんと19ゲーム差の圧勝劇。
それに引き換え1軍は4位とはいえ、
もうボロボロのシーズンを終えようとしている。
ぶっちゃけ今年のクライマックス進出はナイと思っているので、
もう来年に向けて…というカンジ。

それにしても、ちょっと腑に落ちないところが・・・でしょう?

イースタン打撃ベスト10に4人ものマリーンズ戦士。
高浜、清田、青松、大嶺(弟)。
はて、マリーンズはこれだけの有望な戦力がありながら、
彼らがなぜ1軍で活躍できないのか?
と思うのは、ごく当たり前の話。

しかし数字を見ると一目瞭然。

首位打者(ほぼ確定)の高浜は73試合に出場して本塁打4本、
打点41、盗塁0。
ちょいちょい1軍に呼ばれていたので試合数、
打席数、打点が少なくなるのは承知とはいえ、
ファームで本塁打4、盗塁0では、
何がウリで1軍に上がったのか?
だろう。守備だけで…か?

ちなみに3位の石川(西武)は88試合に出場して盗塁27。
4位の山川(西武)は76試合しか出場していないにもかかわらず、
本塁打21本。

6位の青松は99試合に出場して本塁打13本盗塁0。
10位の大嶺(弟)も内野手にもかかわらず、
80試合出場で盗塁3は、どう考えても少ない。
若いウチは長打が打てないなら走れ!だろう。

この数字は投手の成績になると、より際立つ。

浦和マリーンズは優勝しているのもかかわらず、
投手10傑に2人だけ・・・それも6位の黒沢と8位の大嶺(兄)。
しかも防御率がファームで4点台・・・。
皮肉を書くと1軍の防御率に同じ(リーグ最下位)。

どういうことかというと、
要するにファームの試合でチョットばかしでも、
いいピッチングをすると、
簡単に1軍に上がれたりするというコト。
これは弱いチームの典型的なパターン。


青山2軍監督の手腕によるチームワークでの勝利と言えば聞こえはイイが、
監督の優勝コメントにも出ているように、
「優勝より1軍で活躍を」
これが全マリーンズファンのホンネだ。

今シーズンのマリーンズは伊東勤監督の手腕と、
楽天、西武のゴタゴタによる大きな出遅れ、失速によって、
なんとか4位を確保しているものの、
このままだと最下位の可能性も出てきた。
とにかく今シーズンは内容が悪すぎ。
正直に書くと山本マリーンズの時より酷い。
3割打者がひとりもいなければ、
盗塁数もリーグ5位(最下位は楽天)で、
上位3チーム(ソフトバンク・オリックス・日ハム)とは、
倍の数(50前後)違う。

元々、長打がないチームなのに走らない。
ファームでビシッと抑えられないのに、
実績がナイ投手が1軍に上がって抑えられるハズもなく。
当然のことながら額面(数字)通りの活躍では、
この結果も致し方ナシかと。

あとキャッチャー。
正捕手の不在もデカかったなと・・・
その正捕手の里崎智也が引退と。
今シーズン「ああ、こんなときサトがいたらなぁ」と、
何回、試合中に嘆いたことか。

まぁ歳だから仕方ナイちゃナイものの、
間違いなく「ロッテ」史上ナンバーワンキャッチャー里崎。
この後継者が決まるまで、
また時間がかかる(優勝が遠のく)んでしょうかね?
キャッチャーが9回もつかどうか?って心配しながらの応援も、
なかなかしんどいものです。
(それだと当然ピッチャーも9回どころか5回もたないワケで)
打てねぇわ、打者2順もすると配給がバレバレになるわ…
ポロポロ後ろに逸らす、走られまくる。

アテになるキャッチャーがいなくなるというのは実に痛い。

この試合勝てそうだな・・・と思って観に行ける試合を、
来シーズンは、もうちょっと増やしてほしいモノです。
我々も最近、子供の行事とかで忙しくて、
なかなか球場へ行かれませんのでね。

う~ん里崎智也の引退試合に行きたいけれど、
子供の行事がナイことが条件。
早く予定が決まるといいのですが・・・・。

今週、もう一つアテにしていた存在が失われたニュースを。

JRAの騎手、佐藤哲三(44歳)がケガにより引退と・・・。

かれこれ2年ほどリハビリをやった上で結局、
復帰断念により引退となったそうで。
同年代の騎手が引退ってのも、これまた感慨深い。

特に「哲三」は穴騎手。
高配当を狙って取る時は、
たいがい哲三流しで取っていたので実に痛い。

江田照、藤田、佐藤哲といえば、
知る人ぞ知る高配当の宝庫。
それでもって彼らが穴で来るパターンってのもありまして・・・
厩舎のコメント欄とレース2時間前のオッズを見ると実は。。。って、
このまま書いていくと競馬ネタになっちゃうので、
このへんでやめときましょう。

とにかく里崎同様に残念な引退。

同世代の引退話とかを聞くたびにまたジジイになってゆく。

そして、
ふと秋風を感じるようになりだした、
今日この頃。
G1咲いたかドラフトはまだかいな…

また来週。
朝、会社に出社すると全従業員に対し、
手渡しでこんな小冊子が配布された。

「コンプライアンスチェックシート」だと。

当然のことのように受け取った者は全員、
受領印まで押させる念の入れよう・・・

中を開いてみたら、あなたのNG度チェックみたいな内容で、
アホみたいなコトの羅列。

なんだこりゃ?と呆れるも、
近年、社内の人間らしき人物(潮風太子じゃないですよ)の、
社内批判(個人攻撃含む)や内部情報のネット上への書き込みが、
ずいぶんと増えているらしい。
そのことに対する「牽制」を意味するものなのだろう多分。

あれ?
となると、このブログもその類に該当するのだろうか・・・

いやいや、おたくの職場や学校でもそうなんじゃありませんことオホホ。
なんて笑ってもいられないか。

うちの会社(職場)はブラック企業なんざんすよ・・・
なんてハナシは、何処も同じ。

とはいえ企業(経営者)側からすると、
今や従業員は「宝」であり「爆弾」でもあると。
最近やけに神経質になっているような気がする。

まさか、こういうニュースにも敏感になってきているということか?

9月6日、
今年もブラック企業大賞企画委員会主催による、
ブラック企業大賞2014の授賞式が行われた。
といっても表彰された当事者がノコノコとこの場に来るハズはなく、
勝手に表彰式をおこなっているにすぎないワケだけれども、
なかなか興味深い「賞」なのでノミネート段階から潮風太子も注目していた。

そして今年の大賞は「ヤマダ電機」が5256票で、
2位の東京都議会に2000票以上の大差をつけ見事受賞!

そのほかの受賞企業は以下の通り。

そして投票結果の順位は以下の通り。

「都議会は企業じゃねぇだろ?」というツッコミはあるものの、
なかなか面白いランキングになった。

中でも今回目を引いたのは、
たかの友梨ビューティークリニックでお馴染み、
株式会社不二ビューティーだろう。

最近、社長の高野友梨が、
組合活動をしている従業員たちに対して
「労働基準法どうりにやっていたら会社は絶対に成り立たない」
と発言したことが報道され一躍「ワタミ」、「ゼンショー」並みに、
一流ブラック企業の仲間入りを果たしたことは記憶に新しい。

そのかいあってか不二ビューティーは、
赤丸急上昇にて今回、
総合順位が7位となったか…

ただ、この発言なかなか興味深い発言で、
実際のところ、
これが今の日本の殆どの経営者の正直なホンネ。

そしてコレこそがブラック企業の根っこの部分。
労基なんぞ徹底遵守していたら、
仕事そのものが成り立たないんだって!と。

しかし昨今、
ブラック企業と呼ばれている企業の問題点とされているところも、
実は今から30年ほど前の日本では、
何ら問題のナイことだったことを知っている人たちがどれだけいるだろうか?

こんな労働条件は日本中どこでもそうで、
それでいて、こうしたことは「公然の秘密」とされてきた。

上司や先輩からのパワハラや出張費を浮かしてチョンボ、
休憩時間のときの下ネタや、
居酒屋にて飲み会での会社や上司の悪口や愚痴の言い合い。
家族や友人に仕事の内容について話す・・・
これ、すべていわゆるコンプライアンス違反に該当する事項ナリ。

それが、こうしたネット社会の「繁栄」に伴い、
裸の王様の「王様は裸じゃないか」状態になったことから、
こういう事態となってしまった。

経営者からすれば便利で効果的なビジネスツールとして使える、
ネット社会も一方では疎ましい厄介な存在ともなってしまっている現状。

「ブラック企業大賞」なんて、その際たるモノだろう。

それでも、こうして名指しされた、
いわゆるブラック企業の経営者たちからすれば、
「一体、俺の私の考えの何が悪いというのか?」という戸惑い。

この「世間」との考えのギャップ・・・
朝日新聞と読者の関係に似ているような似てないような。

若い時から脇目もくれず必死に頑張って働いて、
血のにじむ努力の末に得た地位と名声そしてカネ。
ようやくセレブとして円熟期に入った矢先にコレだ・・・

結局のところ、こういう人たちもまた、
時代に取り残されていく運命なんだろうなと・・・
失礼ながら結構冷ややかにみている。

いま必死に正解を求めて、
もがき苦しんでいる様子が見て取れるものの、
淘汰に始まり淘汰に終わる自然の摂理に逆らえるハズはなく、
最終的には「崩壊」という形で終焉を迎えることになるのだろう。
あとは時間の問題。

といっても実際には、
今現在「日本の企業」のほとんどは厳密に言えば、
実はブラック企業。
あくまで今の価値観で言えば・・・の話ではあるが。

バブル景気とバブル崩壊~未曾有の不景気の後の、
偽りの不景気により富裕層と貧困層との極端な格差を
作り出した。

皮肉なことに作った時は子供が多かった「ゆとり教育」も、
いまでは子供の極端な減少により「ゆとり」を通り越して、
「ユルユル教育」と堕落してしまっている。
肝心な競争そのものが一部の上流階級層のみのモノと化し、
ほとんどの貧困層の出自の者は、
競争そのものにすら参加できなくなってしまった現状。

そういう意味でいうと「お先真っ暗」のブラック企業という、
皮肉な意味になろうか。

最近「ブラック企業というコトバは差別用語だ!」
とネットの世界で叫ばれだした。

ブラック=黒人を想起させるというコトだそうな。

何をバカなことを。

これからはインドやアフリカ、サウスアメリカ、
東南アジアの時代じゃないのか?
ケイマン諸島にどれだけ世界的超一流企業の本社があるか・・・(笑)
そのうちブラックコーヒーという単語も、
言葉上アウトになってしまうのか?

いつまで日本人が優秀な人種で、
黒人が劣等人種だなんて時代錯誤的な単純思考のままなのだろう?
そっちの方がヘイトスピート同様に怖い。
白人がいつまでも「優秀」でい続けられることも実は怪しいと思っている。

ならば、そういう黒人主体の「ブラック企業」の方が今後というか将来、
給与も待遇も「日本の企業」より上になってしまい、
優秀な「日本人の学生」が先を争って就活するようになったら、
どっちがホンモノの「ブラック企業か?」という論争でもするのか?

それでも「黒人」に使われるのは「屈辱」か?
それとも食っていくためなら止むなしか?
今、巷で言われている「ブラック企業」より、
はるかにマシであったとしたら、
どうなんだろう?

ゴリラがバナナをくれる日 by坂本龍一

こういうのを英語でブラックジョークといふ・・・ってか?

ということで、また来週。

今年の夏もまた夏休みの宿題、
読書感想文で難儀。
とにかく我が愚息(長男)は小学3年生だというのに、
本という本をまったく読まない。
マンガすら読まない。

潮風太子は子供の頃、
親父から何かにつけ本を読め読めと言われ、
それが嫌で読まなかっただけで、
自分が好きなマンガ、
プロ野球選手名鑑にオカルト本、
鉄道やミリタリー関係の雑誌は、
もうボロボロになるまで読みこんでいたモノ。

ソコが決定的に違うので、
まったく読まないとなると、
まさに取りつく島ナシ。
が、夏休みの宿題とあっては、そうもいっていられない。
とにかく何か本を読ませなければ・・・

そこで今年は、
どうせ文科省推薦の長文の本など、
わが愚息が読めるわけナイので、
こういうオムニバスものの短編集の中から、
気に入った話の感想文を書かせることにしてみた。


講談社から出版されている
ほんとうにあったお話 3年生用

というノンフィクションのオムニバス本をチョイスし、
これを読ませるコトに。

とにかく愚息に本を選ばせてみたら、
わけのわからない幼稚園児が読むような、
幼稚な絵本を選択しようとしていたので、
「ダメだそんなの!」と一喝して、
無理矢理読ませることにする。

「ふとんかいすいよく」ですら小学2年生向けだというのに、
なんとも情けない小学3年生である。

とは言っても当たり前のことながら、
そう簡単には読むわけがナイ。

しかし感想文は書かなくてはならない…
例によって時間もナイ。

そこで今度は、
次男(4歳)が寝る前に本の読み聞かせをする形で、
次男に対して掲載されているストーリーを順に朗読することにした。

次男は本が好きなので黙って聞くことが出来る子だ。
すると、横でバカアニキも一緒に寝しなに聞くようになるハズ。
そう考えた。

ところが、いざやってみると、
次男は、ちゃんとストーリーが理解出来る子なので、
つまらないネタだと「これ嫌だ!つまんない」と言い放ち、
逆に気に入ったハナシだと、
こっちが完全に読み飽きても尚、何度も繰り返し読ませる。
ちょっと厄介な一面が・・・

とはいえ、そこで次男が気に入ったハナシというのが

この「本場のカレー教えます」という、
新宿中村屋のカレーのルーツを書いた作品だった。

一応、あらすじを。
1915年イギリス植民地時代のインドで、
イギリスからの独立運動活動を行っていた、
ラース・ビハーリー・ボースというインド人の青年が、
イギリスの追手から日本に知人のつてを頼って来日する。
ボースが29歳の時。

当時、日英同盟を結んでいた日本。
イギリスから日本に対しボースを捕らえるように迫るも、
当時の日本はまだいくらかマシな人間も多く、
ボースを捕らえてイギリスに引き渡せば、
牢屋に閉じ込められるか殺されてしまうと判断、
とりあえずボースを警察の監視下に置くことに。

アジアの欧米からの独立運動に理解を示していた、
当時の日本人支援者たちはボースをかくまう相談をする。
そこで当時パン屋の中村屋を経営していた、
中村屋主人の相馬愛蔵が「ウチでかくまうのはどうでしょう?」と提案し、
その結果、ボースは警察の監視の目を盗み逃走、
中村屋の裏庭にある小さな建物に身を潜める。

そして3ヶ月半も閉じこもり外には一歩も出なかったという。

その後もイギリスに雇われた探偵に見張られるなどしたため、
17回も引っ越すことになってしまう。

中村屋の娘の俊子は英語が話せたため、
ボースを懸命に支援することに。
そういう縁もあって2年後ボースと俊子は結婚する。

やがて世界の情勢がかわり、
イギリスはボースを追うことを諦めてしまう。
(※第一次世界大戦の終結に伴うもの)

ちょうど、この頃中村屋はパンを売るだけでなく、
喫茶室やレストランの経営を計画する。
そこでボースはレストランのメニューにインドカリーを入れることを提案。
当時の日本人たちは、イギリスから伝わった、
シチューのようなカレーは知っていたものの、
本場のインドカリーのことを知らなかった為、
「ぜひ日本人たちにも本場のカリーを味わってもらいたい」
と願っていたボースは早速、カリー作りに励み、
やがてメニュー作りに成功し、当時普通のカレーが10~12銭という時代に、
80銭という高価なメニューとなったものの、
これが大当たりし中村屋を代表する大ヒットメニューとなる。

その後もボースは中村屋で働きながら、
インドの独立運動を支援し続けたものの、
1945年1月ボースは日本で永眠。

そしてインドがイギリスから独立を果たしたのは、
それから2年後の1947年だった・・・・

というハナシ。

念のため、あえて補足を加えるとすると、
中村屋はクリームパン、クリームワッフルを発明したパン屋で有名。
一節には中華まんやカレーパンも発明したのが中村屋という説もある。
当時の中村屋はパトロン的な存在でもあり、
中村屋サロンと称する芸術家や文化人、政治家などが集っていた。

また中村屋のホームページの「会社について」によると、
屋号である「中村屋」の由来は、
「中村屋」の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻が、
パン屋を営むことを決意するも、商売に関して全くの素人だったため、
「パン屋を譲り受けたい」という広告を新聞に掲載し、
米相場で失敗した当時の中村屋の経営者が売りに出すものの、
中村屋自体は繁盛していたので屋号はそのままにして居抜きで買取り、
経営だけを引き継いだ為、とされている。

また相馬愛蔵の娘であるボースの妻となった俊子は、
ボースの逃亡の手助けの心労のせいもあってか、
大正14年、わずか26歳という若さで肺炎にて亡くなってしまう。
中村屋インドカリーの登場は、その後昭和2年である。
中村屋のカリーのサブタイトル「恋と革命の味」とつけられているのは、
そういう理由から。
~補足終わり~


さて、このハナシ結局、都合1週間ほど読まされるコトに…

ところが、門前の小僧なんとやら…で、
とうとうバカアニキの愚息も、
完全にストーリーをマスターしたらしく、
「この感想文を書く」と言い出した。

実際に「読んだ」とは言い難いが
とにかく感想文を書くキッカケが出来た。

とりあえずは作戦成功である。

書き出しは予想通りボロボロだったが、
とりあえず一通り「下書き」だけさせてみる。

その中から使える文を抜き出し、
パズルのピースの中心を決める要領で、
軸になるハナシを確定させ、
前後のハナシを繋ぐカンジにしパズル式にて、
文を付け足す手法を用いて構成していく。

このやり方で都合、
原稿用紙3枚分なんとか書き上げることに成功!
とりあえず期日には間に合った・・・

ただ、文末に「こんど、ぼくもなかむらやのカリーを食べに、
お父さんにつれていってもらおうと思います」
と書きやがった・・・。

締めの文章としては、なかなかのフレーズだが、
中村屋のカリーは「本格カリー」である。
辛いカリーだ。
しかも高い!!(汗)

とは言いつつ、
行きたいと言われたら、いずれは連れて行かなければなるまい。

念のため、中村家へ下見に行ってみた。
現在、新宿本店は改装中の為、営業をしていないので、
千葉そごう10階にある「インドカリーの店」新宿中村屋へ・・・

定番のインドカリーを注文。
この時、サービスドリンク付きだというので、
ヨーグルト風味のインドのドリンク「ラッシー」をオーダー。
お値段、消費税込1404円ナリ。

確かに辛いといっても最近の下品な激辛カレーなんかとは、
完全に一線を画していて品のイイ「昔ながらの辛いカリー」で、
潮風太子的には「こりゃ高くても仕方ナイかな・・・」と。

でも我が愚息には、
それこそ「お前にゃ、まだ10年早いわ!」と言いたいカンジ。

新宿の中村屋のリニューアルオープンは来年、
平成26年10月29日とホームページにあるが、
まずは、その近くの「ゴーゴーカレー」が先だろうな・・・・


それより今シーズンの我らがマリーンズ。
中村屋のカリーどころか、
ココイチの5カラより辛いシーズンだったなぁ。

また来週。