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2014.03.28 おからめし
先週はちょいとお休みをいただきました。

今週も金曜日の登場と、
さすがに、この時期はただでさえ多忙なのに、
輪をかけて多忙を極める状況と・・・・

皆さんも、さぞやお疲れのことかと思います。
最近の皆さんのブログのアップ率なんか見てても、
「みんな同じなんだな・・・」と。

自分だけが忙しいんじゃナイ!

そう言い聞かせながらプロ野球の開幕を待つと(笑)

さて、4月になると今年は潮風太子の周辺も、
ちょっと賑やかになってきまして・・・・。

かつて一緒に仕事をしていた仲の良かった先輩が、
某大手企業の「部長」に昇進したり、

かつて某企業に勤めていた頃の、
同期で親友Uが最近TBSでやった
某企業ちょうちんドラマ「LEADERS」(リーダーズ)
のモデルとなった企業のひ孫請け会社ながら、
親からの代替わりで、いよいよ社長に就任したとか、

同じく潮風太子と共に揶揄されていた「同期落ちこぼれ」
3バカトリオの一人、
親友Mも地方の小さい営業所ながら某企業の営業所長に昇進と、
そんな話が耳に入ってくる今日この頃。

自分の周りだけが賑やかになっていくと・・・・

オレらの世代も、もうそんな歳になるのか。
しかし、オレはこんなところで一体何をしているんだか?

ホントお恥ずかしい限りですマジで。
だからって「よし!オレも頑張るぞ」とならないのが、
私、潮風太子。

今後もマイペースで、
こんな感じでいかせていただきますケドね。

今週は久しぶりに「続きを読む・・・」版で、
企業小説風に所々ボヤかしながら、
かつて、とある上司の下で働いていた上記3人向けに、

「お祝い」の意を込めて、
そして若い頃の「当時」を改めて思い出してもらう意味で、
今だに「ヒラ生活者」の潮風太子より、
一筆お送りしたいと思います。

また、バブル景気崩壊直後の様子という視点で、
読んでいただけたらとも思います。

興味とお時間のある方はお読みいただければ光栄にございます。

この時点ですでに長文になってしまったので、
メインの方は今週はこの辺にて。

先にご挨拶のほど、ではまた来週。




それでは、
続きを読むをクリックにて「本編」を




夜帰宅すると、すでに家族は皆就寝中。
いつものように夕食が電子レンジの近くに置いてあり、
いわゆるチンして食べてください状態。

ただこの夜、
我が家の夕食には珍しくおかずに「おから」が添えてあった。

この「おから」を見るとどうしても、

こうやって「おから」と白飯を混ぜて、
「おからめし」にしてしまう・・・。
※上記の画像で2杯目(笑)

けっしてお行儀のいい食べ方ではナイのは承知の上、
でも、そうしても「おから」と白飯を混ぜて食べる習慣は、
間違いなく治りそうにナイ。
いや、治す気もナイ・・・・・

理由がある。
今を遡ること約20数年前、
まだ潮風太子がルーキーと呼ばれていた頃の話。

この当時はまだ、バブル景気の流れが続いていて、
また、いずれ良くなるだろう的な
楽観的雰囲気が社会全体にはあった。

そしてルーキーの潮風太子も、
ようやく仕事に慣れてきた頃でもあった。
ただ、この時すでに子会社で負け組生活を送っていた。

この日も先輩とともに、
K県都市部にあった某町工場へ、
いつものように機械の修理へ向かう。
この日2件目の仕事。
とにかく忙しい状態の毎日。

ところが発注ミスから、
送られてきた修理部品が違うので修理ができない状況に・・・。
時刻は既に夕刻。

もう烈火のごとく怒る町工場の老社長。
「ウチが止まれば〇〇(某自動車メーカー)のラインが止まるんだ!」
と、まぁ目一杯の強がりを言ってみせるも、

こう言っては失礼だが、
こんな小さい町工場ごときの部品が滞ったところで、
〇〇のラインが止まるハズはないことは、
誰でもわかることだけどな(笑)くらいに話を聞いていた。

テキトーに相槌を打って「ハイハイ!」ってな調子で、
一応、謝罪のポーズをマニュアル通りに・・・。

一通り「話」が終わったのを見計らって、
「それでは早速、部品の手配を行ないますので、
部品到着後に、改めておじゃまさせていただきたいのですが・・・」
と機械的に言うや否や、

「ダメだ!お前らいつ来るか信用できんから、
修理が終わるまでココにいろ!町工場だからってナメるな!!」と言う。

仕方なく、とりあえずデスクへ電話を入れ事情を説明することに。
「お疲れ様です〇〇(先輩の名前)ですけど~」と言った途端、
受話器をひったくり「オウ!お前んトコは町工場だからって
ナメてんのかっ!!」と完全に興奮状態の老社長。

ところが、しばらくデスクとやり取りしているウチ、
ものの1分もしないで、
冷静さを取り戻す老社長。
さすがは◯◯さん(デスクの名前)だなと思っていたら、

「潮風さんってのに代わってくれだって」と、
今度は潮風太子に・・・「?????」

「はい、お電話かわりました」と言うと、
「悪かったな」と謝罪の言葉もそこそこに
「それでよ、お前今日そっちに泊まれ」という。
「はい?」と聞き返す。
「〇〇に今から工場にモノ取りに行かせて明日の朝一で、
そっち行かせるから、それまでお前人質」と冷淡に言われる。
「はぁ?」と思わず驚愕の声をあげる。
「ということで頼むな。じゃ〇〇に代わって・・・」と。

先輩はそそくさと帰り支度。
「じゃ潮風悪いけどな・・・
明日できるだけ早く来るからよ」と言い残し、
営業車で早速、本社工場へ向かう。

一人取り残された潮風太子に
「今日はココに泊まれ」と上を指差す老社長、
ここの工場の2階は住み込みの従業員用の寮となっているが、
どう少なく見ても昭和30年代に建てられたであろう
プレハブのアパート。
6畳1間の蛍光灯ひとつにチャンネル式の小さいテレビがポツンと。
「あぁ最悪・・・」と思いつつも仕方なく捕虜生活へ。

さてコンビニ行って弁当買ってくるか・・・と思っていたら、
「おい!一緒にメシ食おうや」と夕食のお誘い。

断る理由も見つからず「仕方なく」ヨソ様の食卓へ。
さぞや針のむしろと思いきや意外にも、
どうやら、ここの社長には御子息がいらっしゃらなかったようで、
それこそ親類の子か「孫」でも見るかのような、
昼間とは全然違うやさしい一面を見せてくれた。
聞けば、この老社長、御年65歳だという。
「ココはもうオレの代で終わりだろうし、
おそらくコレが最後の忙しさになるだろうから、
今のうちに稼げるだけ稼いでおきたいんだよな、
老後のためによガハハ」と笑いながら話していたが、
この社長の予測はその後見事に的中することになる。

この工場には従業員が3人ほどいたが、
皆、バングラデシュ人だという。
ただこの人たちもまた聞けばダッカ大学の学生だったが、
大水害で国土のほとんどが水没してしまったので、
日本での技術研修という名目で、こうして町工場で、
人知れず黙々仕事をこなしているとのコト。
しかし彼らはとても優秀で物覚えもよく、
間違いなく日本人より仕事ができる人材ばかりだった。
このころ、この手の仕事は3Kと呼ばれはじめ、
多くの日本人はやりたがらない状況になっていた・・・
バブル景気の副作用である。

「彼らは彼らの食事があるみたいだから自炊してんだわ。
断食とかもあるからオレらとは一緒に食事しねぇんだよ」
と、これが潮風太子を夕食に誘ってくれた理由らしい。

夕食後、老社長と従業員たちは、
再び現場に戻り作業を始めた。
結局、機械の音が止んだのは23時を過ぎたあたりだった。



翌朝、前夜同様に老社長と奥様と3人で「朝食」をとっていると、
「おはようございます」と〇〇先輩の声。
時刻は7時を過ぎたあたり。
「随分早いな」と苦笑いの老社長。

あわてて朝食を飲み込むようにカッコんで早速、
作業に取り掛かる。

やがて2時間ほどで作業を終え、
動作確認に入った頃、

玄関の方から「おはようございま~す」と一際大きな声。
〇〇先輩と一瞬顔を見合わせる。
「!!」
「重役と所長だ!」「まさか?」とまさしく耳を疑う。

「こんなトコに来るか?」と〇〇先輩。
「どうしちゃったんですかね?」という答えしか浮かばない。

しかも二人ともスーツ姿ではなく作業服姿。
この格好で電車に乗ってきたようだ・・・

さすがにこれには老社長も驚いた様子で、
「いやいやこれはこれは」と最敬礼でのお出迎え。

事務所の応接間へ案内しようとする老社長に対し、
「ウチの〇〇と潮風はどちらですか?」という声が
聞こえたかと思うと「工場はこちらですか?」と、
ほぼ一方的なペースでズカズカと工場へ・・・

「オウお疲れさんっ!」と大声で言ったあと、
小声で「大変だったな」とニヤニヤしながらヒソヒソ話。

老社長と奥様は「どうそこちらへ」とやたらと
「応接室」へ案内しようとするが、
「いえいえ、お仕事お続けください、
お忙しいところを見ている方がこちらも安心するんですよ、
どうぞおかまいなく」
とまさしく立て板に水のようなトーク。
本社元営業課長の看板に偽りナシだ。

お昼近くなっても問題なく作動している様子から
「ウンこれで大丈夫ですね」と〇〇先輩がOKサインを宣言したので、
「社長呼んできます」と潮風太子。

ようやくここから脱出できる。

すると今度は「お昼用意させていただきましたんで」と奥様の声。

「お~やっぱり重役と所長が来ると待遇がちがいますなぁ」と、
〇〇先輩が言うと「じゃあ昼は鰻ですかねククク」とヒソヒソ声で
潮風太子が調子をこくと「バカ!今そういう立場じゃないだろ」と、
所長から真顔で一喝される。

応接間に通されると、そこには焼き魚と味噌汁、白飯、サラダと、
「おから」が出されていた。
内心「うわっケチ臭せぇ」と思った瞬間、
重役は「いやぁこれは素晴らしいねぇ!」と嫌味なのかホンネなのか、
わからない感嘆の声を上げた。

そして全員で「いただきます」をすると、
真っ先に重役が白飯の茶碗に「おから」を混ぜ始めた。

「おから飯ですか?」と所長がニヤニヤしながら言うと、
「私はねぇどうも、ご飯とおからが出るとこういう風にしてしまうんだ、
お行儀悪くてすまないね」と、どうでもいい断りを入れながら、
嬉しそうに早速「おから飯」を口の中へ放り込む。

少し皮肉を込めて「おからとはまた贅沢ですよね」と潮風太子が言うと、
「確かに今じゃ贅沢だよねぇ、でも潮風クンの言う贅沢と
私が思う贅沢はちょっと違うような気がするケドね」とチクリとやられる。

ちょうどその時、老社長がやってきて、
「こんなモンで申し訳ないですケド・・・」と恐縮する老社長。
すると間髪入れず「いやいや!おからと白飯とは私らの世代には、
たまらんですよねぇ」と絶妙な間で答える重役。

そして昼食会。やがて戦時中の話に花が咲く展開に。
子供の頃、
重役は5人兄弟で滅多に白飯なんか食べられなかったことや、
おからを混ぜたおから飯は、
米のカサ増し代りとはいえ、
当時は、たいそうな御馳走だったようで、
それが今だにトラウマの如く、
こういう食べ方にさせる理由だと分かり、

「じゃ僕もおから飯にさせていただきま~す!」と、
お調子を言いながら、
白飯の上におからをタップリのせてみる・・・

するとポロポロとおからが白飯から落ちる落ちる・・・

「食べ方汚ねぇなオイ」と〇〇先輩からたしなめられる。

するとそれを見た重役は
「潮風クンねぇ・・・おからをのせる量と、
のせるタイミング食べるタイミングってのを考えてないだろ?」
と、潮風太子の「お調子」を見透かしたようにニヤけながら言う。

「あ、ハイ」と首をすくめる。

「何事もそうだけど器の大きさに合った、
程よい量ってものがあるんだよコレは人間も同じ」と。

「はぁ・・・」と私メ。
「たとえ器に無理して盛っても器に見合わない量を盛ると、
潮風クンがポロっとこぼしちゃったようにボロが出ちゃう・・・」

「早く丁寧に、そして正確に!
コレは仕事の基本だから・・・製造も営業も同じ、
ただ勢いだけではダメなんだよ」と軽く説教を食らう。

老社長は、それを「そうそう」とばかりに時折頷きながら、
嬉しそうに聞いていた。

この件以来、私潮風太子は「おから」と白飯の組み合わせが出ると、
常にこうして「おから飯」にして食すことにしている。
自分に対し「初心に帰る」意識を確認するためだ。


昼食会も終わりに近づいた頃、
タイミングを見計らったかのように重役が、
「それでは社長、今回は私共の不手際によりまして、
大変なご迷惑をおかけいたしました、
つきましては、〇〇(社)さんの担当の方に、
私共の方からもお詫び申し上げたいのですが、
担当の方のお名前をお教えいただけませんでしょうか・・・」と、
目一杯、腰を低くして陳謝の意を老社長に伝える。

さすがに、これには老社長も参ったといった表情で、
「いやいや、ここまでウチのような小さな町工場に
していただけるとは思ってませんでしたから、
こちらこそ、お忙しい中、偉い方においでいただいて
感激しとります」と先日までの怒りは何処へやら。

最後には和やかなエンディングを迎え、
見事にコトを収めた。

営業所へ戻るすがら車の車中、
「いやビックリしましたよ、あんな小さな工場に
重役と所長が来るなんて思ってもみませんでした」と、
〇〇先輩が水を向けると、

「いや、ああいう昔ながらの職人が経営している工場だから、
逆に行くんだよ」と言う。
続けざまに「昨日たまたま電話取ってね・・・でも、
あの怒り具合と口調でズグわかったけどね本当に困ってんだなって」。

「でも、ハッタリかましてましたよね。あの社長」と潮風太子が言えば、
「僕はねぇ昔、小さい工場ばかり顧客に持ってたんで、
親会社の理不尽さってのを嫌っていうほど見てきたんだ、
だから、どうも放っておけないんだなぁ・・・」という。

「まぁ最近は地上げやったり株やったりして担保代わりに、
片手間で工場経営しているような町工場も多くなってきたしねぇ、
ああいうトコは、これから貴重だよホント」。

しばらく沈黙する車内。

「でも、なんで今回現場にいらしたんです?」と潮風太子が聞けば、

重役は「ホント言うとね、
あそこはもう新しい機械を買ってくれるとは思ってないの、
でもコネはあるんだああいう会社の社長って」。

「はぁ、でもそんなカンジしてませんでしたケド」と返す潮風太子。

「それとガイジン何人か、いたろ?若いヤツ」とすぐさま返答される。
「ああいう人たちが将来、上客になってくれるもんなんだよ」と。

そして矢継ぎ早に「クチコミの力ってのを甘く見るなよ」と、
少しドスがかった低い声が車内に響く。

「まぁ悪くなった時にわかるよ」と苦笑いしながら話す重役の言葉には、
この後長い不況に入るとは思っていなかった潮風太子には、
意味がまったく分からなかったが、なんとなく重みを感じた。

「驕れる者も久しからずですかねぇ?」と所長が相の手を打つ。
「さぁどうだかな・・・」と小声で呟いたのを確かに聞いた。

この重役も「ライン」から外れたようで、
結局「本店」での出世レースから脱落し、
終の棲家として「子会社」の役員のお役目を
勤めていることを以前「社内の噂」で聞いていた。

でもどうして、こういう人がこんなトコにいるんだかな?
と思ったものだった。

これからしばらくして、
大元の発注先だった某大手自動車メーカーは、
大規模なリストラを敢行したのち九州へと移転し、
周辺の町工場の多くはこれを機に廃業を決めた。

これらの町工場の跡地には、
1Fがコンビニのアパートマンションになっていたり、
あるいはコインパーキングになったりして今では、
そこにかつて町工場群が存在していたことすら知らない世代の
住民も増えた。

潮風太子が勤務していた会社も今では存在しない。
長引く不況に持ちこたえられず「倒産」したためだ。

「大手」という名にあぐらをかいて、
「下流」の現場の意見なんか言っていいほど聞かず、
「同レベル」の大手向けと思しき新商品を開発するも、
如何せん買い手がつかないモノばかりを作り続けた。

挙げ句の果てには異業種へ進出して大失敗したり、
希望退職者を募るほどに「優秀な人材」が流出し続けたりと、
もうやることなすこと、すべてが裏目に出た。

しかし、この時期1坪程度の大きさの小型機を開発した某社は、
潮風太子が在籍していた会社よりも小さいメーカーだったが、
小さな町工場を中心にコッソリと、そして確実に販売台数をあげ、
見事に不況を乗り切ってみせた。
試作品を作るような小さな工場は実際には、
たいして不況ではなかったのだ。

倒産後の悲惨さは、
ここでこれ以上書けないくらいの長い話になってしまうほど、
いくつもの悲劇を生んだ。

なので、
それ以来、潮風太子は常に「権力」だとか「権威」というものを、
疑うようになった。

そして、下々の地べたの目線で常にモノを考えることにした。
ビジネスのヒントは常に「現場」にあると・・・。

夜中、一人「おからめし」を久しぶりに食べながら、
ちょっと昔を思い出して初心に帰った気がした。






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